イタリアが生んだ稀代の天才パゾリーニその光と闇
パゾリーニと言えば「ソドムの市」、「ソドムの市」と言えば変態映画と決めつけてはいないだろうか?怖いものみたさで「ソドムの市」を鑑賞して後悔したり、その謎過ぎる死だったり、闇が深すぎるため敬遠してしまっている風潮がある。しかし、2022年生誕100年を記念し作品が上映されるなど、まだまだ影響力のある伝説的な映画作家。そんな誤解されているパゾリーニ作品を紐解いていきたい。この記事を読み、パゾリーニ作品に触れることで、あなたは普通の人よりもパゾリーニ映画に愛を持って接することができるはずだ【永久保存版】。
目次
- 【パゾリーニ映画】「ソドムの市」をみる方法
- 【パゾリーニ映画】「ソドムの市」から入ってはダメな理由について
- 【パゾリーニ映画】それぞれの時期に傾向が異なる作家性とは
- 【パゾリーニ映画】おすすめのみるべき順番
- まとめ
【パゾリーニ映画】「ソドムの市」をみる方法
パゾリー二作品はいまどき珍しく、ほとんどがサブスクや配信サービスに対応していない状況が多く、レンタル・配信ではほとんどが流通していない敷居の高さが特徴的。
また、ちょっと前にはレンタルもあったはずだが、それもなかなか置いていない。
特に、「ソドムの市」はどちらも非対応となっており、そもそも鑑賞自体が難しく、ほとんどの場合ソフト購入が必要になってくる。しかも流通量が少ないのでパゾリーニ作品はどれも高い。
さらに、その高いハードルを乗り越えて、いざ「ソドムの市」をみてみても、「なんじゃこりゃぁっ!???」となればまだいい方で、下手をしたら一生残るトラウマレベルに陥りかねない。
そうなってしまっては最後、再起不能になってしまい、パゾリーニ作品とは縁がなくなってしまう。
そうならないためにも、パゾリーニ作品についておすすめの鑑賞方法を伝えていきたい。
不思議なのが、「ソドムの市」がなぜかパゾリーニ入門編みたいな扱いになっていて、その余りにもセンセーショナルな内容や先入観が強すぎて毛嫌いされている。
さらに「ソドムの市」をみたほとんどの人は、とてもじゃないが他のパゾリー二作品をみてみようとは思わないため、どんどんパゾリー二作品は一般に流通しなくなっている。
まずは、パゾリーニを取り巻く環境や問題点について、理解してもらった上で話を進めたい。
【パゾリーニ映画】「ソドムの市」から入ってはダメな理由について
しかしながら、パゾリーニは世界中で今も根強くシネフィルに支持されている。
世界3大映画祭でも受賞を果たし、当時日本でキネマ旬報でも1位を記録している偉大な映画作家であり、映画以外でも多方面で活躍した天才である。
ミヒャエル・ハネケをはじめ、ギャスパー・ノエ、ジョン・ウォーターズたちのフェイバリッドであったり、世界の映画監督が選んだオールタイム・ベスト100にも選ばれたり、著名人の間でも「ソドムの市」は評価されている作品。
そんなパゾリーニがそもそもなぜ「ソドムの市」を撮ったのかという核心へ迫る前に、断言しておくが、そもそも「ソドムの市」ただのエログロスカ◯◯(自主規制)映画ではない。
しかし、「ソドムの市」だけを普通にみれば、変態監督だと誤解してしまうのも致し方ない。
それだけ強烈な映画だが、天才がそんな悪趣味なだけの映画を撮るはずがない。
そのため、ここではその解決の糸口となればと思い、パゾリーニ作品おすすめの順番を提言したい。
【パゾリーニ映画】それぞれの時期に傾向が異なる作家性とは
※画像の引用元:IMDb公式サイトより
ピエル・パブロ・パゾリーニは、1922年3月5日イタリアのボローニャ生まれ。
パゾリー二の趣味趣向により、その作品はどれもが既成の映画と全く異なり、特にハリウッドでは誕生しない世界を描いている。
傾向の異なる作品群を製作期間ごとに区切ると3期に分けられる。
まず前期は60年代前半に製作されたローマ3部作、次は60年代半ば〜末までの中期(個人的にはこの頃がパゾリーニの黄金期だと思っている)、そして70年代の後期。
このそれぞれの期間に特徴がある。
前期は、戦後イタリアからの復興を目指す姿勢のフェリー二的なスタンスにより素人俳優を抜擢したスタイルが撮られている。モノクロで貧しい戦後ローマが描かれ受難がテーマ。
中期は、モノクロからカラーへ変化するとともに、受難から批判(政治、経済など)への移行、タブー(性、暴力、宗教)への切り込みなどの開眼が特徴的。
後期は、反ブルジョワ・反ファシストを掲げ、確信犯としての政治批判、挑発した態度を風刺芸術映画で表現し、あからさまな反骨精神を発揮した過激に描写。
影響力の大きさから、みせしめとして、スキャンダルな死という最悪の結末を招き、53歳という若さで伝説となる。
【パゾリーニ映画】おすすめのみるべき順番
中期(60年代半ば〜末までの黄金期6作品)
↓
前期(60年代前半に製作されたローマ3部作)
↓
後期(70年代に製作された生の3部作および「ソドムの市」)
この順番の理由としては、以下の通り。
1.前述の通り「ソドムの市」から入ってしまうとダメ。
2.かといって前期から入るのも地味なので挫折しやすい。
3.みやすいパゾリーニ黄金期から入るのがおすすめ。
4.後期から入るのも悪くはないけど、パゾリーニ本来の持ち味を堪能したい。
(パゾリーニは「ソドムの市」製作時に生の3部作を否定している)
今回はみるべきおすすめの順番でパゾリー二作品のレビューを並べてみたい。
中期(60年代半ば〜末までの黄金期6作品)
・奇跡の丘(1964年)
日本人には馴染みが薄い原典「マタイ福音書」に基づく、超自然現象を含む聖書の世界観をパゾリーニ解釈による映像・音楽と共に、忠実に描かれている。
イエス・キリストの誕生から復活までの有名エピソード(処女懐胎、イエスの誕生、イエスの洗礼、荒野の誘惑、イエスの奇跡、最後の晩餐、ゲッセマネの祈り、ゴルゴダの丘、復活)を中心に展開する。
出演者は全て素人を使用した宗教映画だが、その力量を高く評価された。
キリストを題材とする映画は多いが、本作はその中でも古典にして王道、そしてバイブル的存在だ。
神聖さにおいてもパゾリーに作品の「テオレマ」と双璧をなす傑作。
1966年キネマ旬報第4位。
ヴェネツィア映画祭審査員特別賞。
・ 大きな鳥と小さな鳥(1966年)
ある親子と1羽のカラスの珍道中を描いたコメディで、当時は日本未公開作品。
主演はイタリアの喜劇王トトと、パゾリーニ作品常連のニネット・ダヴォリが、そのままの役名で出演。
パゾリーニ唯一の喜劇という扱いになっていて、モリコーネの音楽によりオープニングから歌によりキャスト・スタッフが紹介される。
また、人間と話す鳥が出てくる物語だがその鳥の言語である鳥語を勉強するなど、ユニークな作品である。
しかしながら、パゾリーニが普通にコメディを撮るわけでもなく、政治や宗教感などの高尚な部分とその根底にある基本的欲求を逆手に取った皮肉なブラックコメディー要素が強く、人間の本質が突きつけられる。
・アポロンの地獄(1967年)
パゾリーニ がギリシャ神話「オイディプス王」の物語を映像化した傑作。
神話らしいスケールの大きいのか小さいのかよくわからないが、パゾリーニのテイストに相応しく、摩訶不思議でおぞましく広大な世界を体感させられる。没入度は高い。
モロッコでロケを行った荒廃した風景は、「エルトポ」や「マッドマックス2」を思わせる。
また、パゾリーニらしい不協和音等が鳴り響く。
出演はパゾリーニの秘蔵っ子フランコ・チッティ。「テオレマ」以前のシルヴァーナ・マンガーノが美しい。
キネマ旬報ベステン1966年第1位。
・テオレマ(1968年)
ブルジョワ一家と労働者階級、不条理&寓話劇、虚栄と実像といったパゾリーニの宗教観が全快の摩訶不思議な世界。
神々しいまでに美しい映像や、心象風景の切り取り方はジュゼッペ・ルッツォリーニの撮影により、さらにエンニオ・モリコーネ他の音楽が異様な雰囲気を盛り立てる。
テレンス・スタンプの存在感、シルヴァーナ・マンガーノ、アンヌ・ヴィアゼムスキー、ラウラ・ベッティ他美女たちの狂宴が愉快だ。
パゾリーニ作品常連のニネット・ダヴォリは変わらずコミカル。
テオレマ=定理の意で、パゾリーニ が見事に証明した人間が持つ真実が暴かれる。
パゾリーニの中期作品は傑作揃いだが、本作はその中でも特出した傑作だ。
キネマ旬報ベステン1970年第6位。
ヴェネツィア映画祭女優賞。
・豚小屋(1969年)
本作は2つの異なる時代の物語が同時進行に展開される。1つは中世の辺境の荒野。
もう1つは統合前の西ドイツの資本家の豪邸。
共通点はないように思われるが、次第に交差していく。
ピエール・クレマンティ、ジャン・ピエール・レオ、アンヌ・ヴィアゼムスキー、ウーゴ・トニャッティ、フランコ・チッティ、マルコ・フェレーリ、アルベルト・リオネロなどパゾリーニと縁のあるメンバー構成。
直接的な描写は抑えられ、隠喩と暗喩を駆使して間接的に描かれているものの、ショッキングでセンセーショナルな禁忌をテーマに扱っている。
本作及び「大きな鳥と小さな鳥」で実験的に描かれた内容が、後に「ソドムの市」に結実したと思われる。
資本主義・階級社会・隠蔽体質への痛烈な批判が色濃く感じられる意欲作だ。
・王女メディア(1969年)
本作はギリシャ神話「メディア」をモデルに映像化した作品。
イタリア・オペラ不世出のディーバ、マリア・カラスがメディアを演じ、長編映画に出演したのは本作のみ。
歌声は疲労していないが、神懸かり的なオーラを身に纏い、女神を自らのものにしているさまは一見の価値あり。
また、舞台となるのは、古代ギリシャを荒涼たる風景の中で土着的な描写によって体現された中世の原始的な世界観が素晴らしい。
キネマ旬報ベステン1970年第7位。
前期(60年代前半に製作されたローマ3部作)
・アッカトーネ(1961年)
パゾリーニの長編初監督作品、初期作品はローマ3部作と呼ばれ、本作では戦後の貧困を描いているのに、パゾリーニらしいのはその逆張りの姿勢。
貧困からの復興なり脱却がテーマなのに、主人公はアッカトーネ(乞食)というタイトルの通り、ヒモだ。女を働かせ、自分はまともに働かない生活を肯定する。
主役のフランコ・チッティは、本作でパゾリーニに見出され、のちにパゾリーニ作品の多くに出演することになる出世頭だ。
そうした社会的底辺映画にも関わらず、ならず者が純粋無垢な少女に出会い、そこに宗教的な救いを付け足すことで、さらにらしさが増し輝き出す。
さらに、突如として挿入されるワープ演出、ラストも唐突に終わる。
作風は変化を遂げていくが、パゾリーニ スタイルが確立されている原点。
・マンマ・ローマ(1962年)
パゾリーニ ローマ3部作の2作目、「アッカトーネ」のスピンオフ的な匂わせ方をさせている。
元娼婦の女性が溺愛するひとり息子に真っ当な人生を送らせてやりたいと願うが、不良仲間や、誘惑する女性、さらに過去にしがらみのあった輩が絡んでくる。
映画冒頭の結婚式では「最後の晩餐」、ラストのキリスト的立ち位置の構図を引用したパゾリーニ美学が貫かれている、「アッカトーネ」と並ぶ初期の傑作。
逞しく下町女に大物女優アンナ・マニャーニ、ローマスラム街にひそむ輩はフランコ・チッティ、ひとり息子にエットレ・ガロファーロ、誘惑す美女がシルヴァーナ・コルシーニ。
前作から続く下層階級から這い上がろうと試みるものの、過酷な負の連鎖が付き纏う。
必死にもがく母の愛とそんな想いとは裏腹に自由気ままに暮らす息子が、ほんの僅かに交差する隙間に、真の美しさや幸せを見出そうとし人間の本質が見えてくる、そんな盲目的な愛の物語。
・リコッタ(1963年)
先行き不安な60年代前半、各者各様により、世界の終わりを描いた終末世界論を繰り広げるオムニバス。
ロベルト・ロッセリーニ、ジャン=リュック・ゴダール、ピエル・パオロ・パゾリーニ、ウーゴ・グレゴレッティが参加。
タイトルはそれぞれの監督名の頭文字から拝借したものとなっている。
その中でもメインであるのがパゾリーニ。
ローマ3部作の最終作にして、「マンマ・ローマ」と「奇跡の丘」のつながりをはたす橋渡し的な位置付け。
オーソン・ウェルズが出演しパゾリーニの分身役の映画内の映画監督役、またパゾリーニ作品常連組のひとりラウラ・ベッティが聖母マリア役。
尚、本作ではキリストを冒涜した内容が当時訴訟騒ぎとなり、執行猶予付きの有罪判決が下った。
後期(70年代に製作された生の3部作および「ソドムの市」)
・ デカメロン(1971年)
パゾリーニによる生の3部作第1弾。
本作を含め艶笑 3部作では陽の快楽主義が描かれており、言うまでもなく陰の快楽を徹底的に貫いた「ソドムの市」とは対照的だ。
ジョバンニ・ボッカチオの原作におけるルネサンス文学、14世紀を現代社会置き換え、オムニバス形式で8つのエピソードが散りばめられている。
撮影はトニーノ・デリ・コリ、音楽はエンニオ・モリコーネ、美術はダンテ・フェレッティ。
出演はフランコ・チッティ、ニネット・ダヴォリの他、パゾリーニ自身も出演している。
パゾリーニ作品で多くみられるテーマである、人間の下劣な本質を暴き、性と聖を照らし合わせつつ、生を謳歌する人生賛歌になっている見事な結実だ。
ベルリン映画祭銀熊賞。
・カンタベリー物語(1972年)
イギリスの作家ジェフリー・チョーサーの同名原作の映画化。
撮影はトニーノ・デリ・コリ、音楽はエンニオ・モリコーネ、美術はダンテ・フェレッティが各々担当。
出演はニネット・ダヴォリ、フランコ・チッティの他、パゾリーニ自身も出演している。
本作でも、業の深さをみせつけつつ、ネガティブな印象にはならず、人間の暗部を楽しく笑い飛ばすといった前作「デカメロン」と同様の姿勢が保たれ、むしろパワーアップしている。
しかしながら、終始コミカルを貫いた作風の前作と異なり、本作での終焉のみそれまでの雰囲気を一変させ、怪作「ソドムの市」の萌芽とも感じられる、地獄絵図が登場する。
これまでもいくつかの作品で散りばめられてきたパゾリーニの暗黒面、その地獄の門が開き、陰のパワーが噴き出し始めていることを予感させている。
尚、前作に続き本作も批評的にも興行的にも成功した。
ベルリン映画祭金熊賞受賞。
・アラビアンナイト(1974年)
馴染みのある「千夜一夜物語」とはかけ離れた、パゾリーニによる暗黒版「アラビアンナイト」。
とはいえ、基本的には生の3部作の最終章なので、明るい話だが、あくまでパゾリーニ作品の中ではといった注釈がつく。
そして、3部作での前2作「デカメロン」や「カンタベリー物語」が姉妹的な関係性のある作品であったのに対し、本作での赴きは異なる。
舞台はもちろんヨーロッパではなく、アラブに移り、東洋的な神秘な映像世界が煌めく中、過酷な状況下におかれた人々の扱われ方は凄惨だ。
また、前2作ではオムニバス形式をとっていたが、その形式からは脱却している。
恋物語を軸にしたひとつのストーリーを紡ぎつつ、「千一夜物語」から選ばれたエピソードが挿入されるといった変化がみられる。
撮影はジュゼッペ・ルゾリーニ、音楽はエンニオ・モリコーネ。
出演はニネット・ダヴォリ、フランコ・チッティ、フランコ・メルリ、テッサ・ボウチェ、イネス・ペレグリーニ、マルガレート・クレメンティなど。
前2作で出演していたパゾリーニは本作では出番なし。
本作では前作「カンタベリー物語」の終盤のみにみられた「ソドムの市」につながる感性の発露が端々にみられ、「ソドムの市」との橋わたし的役割を担った映画。
カンヌ国際映画祭グランプリ。
・ソドムの市(1975年)
原作はマルキ・ド・サドの暗黒ポルノ小説「ソドム百二十日あるいは淫蕩学校」。
パゾリーニは、原作では18世紀のスイス山奥の城館であった舞台を、20世紀のナチス政権の影響下にあったイタリアに置き換えている。
ファシストの残党による選りすぐりの若い男女9人が連れ去られ、時の権力者たちによって秘密の館で繰り広げられる狂宴として製作した。
その構成は、ダンテの 「神曲」 の構成を借りており、「地獄の門」「変態地獄」「糞尿地獄」「血の地獄」の4つの章から成る。
音楽 エンニオ・モリコーネ、撮影はパゾリーニ作品を多く手掛けたトニーノ・デリ・コリ。
パゾリーニの遺作となった本作を過激な阿鼻叫喚の地獄絵図映画である一面ばかりを追うことにここでは論は持たない。
それよりもなぜパゾリーニは本作を撮ることになったのか、その経緯、主義、主張の方が重要だからである。
パゾリーニの頭の中では、時の絶対権力者たちは、法律を強引に捻じ曲げ、大邸宅で合法的に自らの欲を満たすため、欲望全快で日夜やりたい放題を行っているクソ野郎たちで、偉そうなことを言っていてもその趣味は最低最悪で、暴きたかったことは人間なんて所詮そんなものだというアンサー。さらに、消費社会へ警鐘も重ね、搾取構造における関係性の変化も描かれる。
実際、50年近く経って時代は変わっていても、人間自体はそこまで進化していないし、むしろ性の問題は明るみになっていて、支配者と服従者たちの関係もかつてもそうだったことは歴史が証明している。
その先見性や不変の真理についての描き方は見事だ。
そのことを理解した上で、本作をみることで、全く違う景色がみえてくる。
刮目せよ、これはパゾリーニからの挑戦状、パンドラの箱である。
まとめ
・【パゾリーニ映画】「ソドムの市」をみる方法
・【パゾリーニ映画】「ソドムの市」から入ってはダメな理由について
・【パゾリーニ映画】それぞれの時期に傾向が異なる作家性とは
・【パゾリーニ映画】みるべきおすすめの順番
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