ナルコスの登場人物とゆかいな仲間たち

「マジックリアリズムは、コロンビアが発祥の地。不可解な事が日常的に起こる。肝心な時に限って、奇妙な事が。」

【サイレント映画】最低限みておくべき黄金時代10作品(1910〜1920年代)

最終到達点にして最高峰の結集こそがサイレントムービー

白黒や古いだけでなく、声も出ない出ないなんてマジで無理だわ、と思っているあなた。その先入観は間違っている。未だにその高くそびえる壁を超えられていない、真の金字塔たちを紹介したい。原点にして究極の特集。この記事を読むことで映画の価値観が一変する可能性が極めて大きいので、絶対に最後までチェックして欲しい。全50作品【永久保存版】。

 

目次

サイレント映画】ざっくり映画史を振り返る

ここでは、映画の誕生からトーキーへの移行までを中心に紹介。

 

尚、16世紀〜18世紀ごろまでに使用されたカメラ・オブスキュラ・影絵、その後のキネトスコープ時代は省略する。

 

シネマトグラフ時代

フランスのリュミエール一家により、1台で撮影・映写・現像を行うことができるシネマトグラフを完成させ、一度に多くの人が鑑賞できる上映を行ったことにより映画は誕生した。その後、初期のものを改良したもので映画興行が広まっていった。

 

代表作

ラ・シオタ駅への列車の到着(1895年)

海水浴(1895年)

赤ん坊の食事(1895年)

 

1900年代のサイレント映画

メリエスがストーリーを持った映画が完成させたり、ポーターが別々の場所で起きた出来事を捉える手法であるクロスカッティングを用いたり、次第に演出手法が取り入れられた。また、シネマトグラフ時代に比べ、徐々に上映時間も長くなった。

 

代表作

月世界旅行(1902年)

大列車強盗(1903年)

 

1910年代のサイレント映画

この頃には映画人口は爆発的に拡大し、アメリカ映画の父、D・W・グリフィスにより革命的な映画手法を打ち立てられ、現在の原型が形作られた。また、それまでショートフィルムから長編作品へとシフトされた。ヨーロッパでも盛んに映画が制作される。

 

代表作

カビリア(1914年)

国民の創生(1915年)

 

1920年代のサイレント映画

グリフィスに変わって、この頃にはセシル・B・デミルエリッヒ・フォン・シュトロハイムといった映画作家が台頭したり、三大喜劇王としてコメディアンが大人気になったり、ヨーロッパを含め多種多様な作品が誕生。サイレイト映画は最盛期を迎える。

 

代表作

カリガリ博士 (1920年)

霊魂の不滅(1921年

吸血鬼ノスフェラトゥ(1922年)

チート(1915年)

グリード(1924年

黄金狂時代(1925年)

探偵学入門(1924年

戦艦ポチャムキン(1925年)

メトロポリス(1927年)

ナポレオン(1927年)

裁かるるジャンヌ(1928年)

ロイドの要心無用(1923年)

 

1920年代後半からトーキー映画時代へ

そもそもサイレント映画では、同時録音・再生ができなかったため、撮影・上映時に苦労していた。そこで1927年、世界初トーキー映画(正確には部分的なパートトーキー)が公開されると、急速に拡大していった。こうしてサイレント映画は終焉を迎える。

 

代表作

ジャズ・シンガー(1927年)

 

1930年代以降についてはこちらをチェック↓

narcos.hatenablog.com

 

サイレント映画】原点にして究極の理由

サイレント映画は映画の原体験である画と音による鑑賞スタイルであり、余計な台詞は極力登場せず必要なところのみ字幕が入るスタイルとなっており、加えて今日でもみられる撮影技法が駆使して描かれている。

 

ゆえに、本来の意図である第7芸術である映画は、すでに100年前に完成の領域に突入し、以降は副次的な効果のみという説もある。それが最古にして最新の理由に当たる。

 

例えば、トーキーで音声が同時に出るようになったり、カラー映像になったり、デジタル撮影への移行やCG技術が発達したりなど、撮影・みせかたの技術は当然ながら進歩している。

 

しかし、本質的な映画としての進化を問われたら、どうだろうか。

 

例えば、あるサイレント映画をみている時に、みたとこがあるという既視感を抱くことがあって、遡っていくと、実はすでにサイレント期に制作されていたというのはよくあることだ。

 

サイレント映画】後世に与えた映画の具体例

サイレント映画・メトロポリス

※画像の引用元:IMDb公式サイトより

 

ここでは記載しきれないので、「メトロポリス」に限って一例を紹介する。

 

有名どころでは、アンドロイドのマリアのデザインから「スター・ウォーズ」のドロイドC3POへ受け継がれ、未来都市やスチームパンクの世界観、カオス化した地下都市は「ブレードランナー」でその影響がみられる。

 

また、マッドサイエンティストであるロトワングのイメージは、「フランケンシュタイン」、 「バック・トゥ・ザ・フューチャー」へ継承されている。

 

他にも、ラストのロトワングとフレーダーのバトルはティム・バートンの「バットマン」でコピーされ、「スーパーマン」の主人公の故郷はメトロポリスと名付けられている。

 

ポール・ヴァーホーヴェンは「ロボコップ」で「メトロポリス」が重要な役割を果たした語っていて、キューブリックの「博士の異常な愛情」においても同様の位置づけだと考えられる。

 

以上の他に現在までに多くのSF、アニメ、漫画、ミュージシャが同様の影響を言及しており、またそのフォロワーへの関連を考えるとその効果は計り知れない。

 

ということで、ここでは極私的なおすすめ作品として、1910〜1920年代に絞ってサイレント映画を紹介したい。

 

サイレント映画】最低限みるべき黄金時代10作品

・チート(1915年)

 

ブラック・レイン」でハリウッドへ進出した松田優作のはるか昔、日本人が演じた悪役として大成していたのが、早川雪洲だ。


セシル・B・デミル監督による初期作品となる44分のサイレント映画だが、インパクトは十分。


原題の「THE CHEAT」は、詐欺の意味。


雪洲が演じるビルマ象牙王は、東洋人的なクールでミステリアスな表情と異常な独占欲と支配欲を有するキャラクター造形が人気を博した。


その雪洲の存在感は作品への影響力も大きく、重量感と緊迫感溢れるサスペンスフルな作品に仕上がっている。


尚、日本人を悪く描いている国辱映画とされ、雪舟がハリウッドで輝く日本人スターとなった記念碑的な作品にも関わらず、当時日本では劇場未公開となっている。


その後、抗議を受けたことにより、雪洲の演じた役名は、もともとは日本人の骨董商ヒシュル・トリだったが、ビルマ象牙王ハラ・アラカウとクレジットが差し替えられた。


しかし、邸宅内での和服姿、部屋の障子など日本的なセットはそのままなので、違和感はあるものの、面白さは担保されている必見作だ。

 

セシル・B・デミル監督作品

カルメン(1915年)

男性と女性(1919年)

 

国民の創生(1915年)

 

空前絶後の超大作、映画の父であるD・W・グリフィス監督による、トーマス・ディクソン原作「ザ・クランスマン」に基づいた、アメリカ映画史を映像化した問題作。


今では当たり前になった映画技術の基礎、クロスカッティング、カットバック、フラッシュバック、クローズアップ、ロングショットが使用されており、当時史上最大のスケールを誇った本作に相応しい、ダイナミックな映画作りにおいて非常に効果的に作用し、革命的な映画として後世の作品にも多大な影響を与え高い評価につながっている。


その反面、かなり偏った政治的思想、人種差別意識の強い視点からの歴史解釈がなされており、白人至上主義が貫かれている。


しかしながら、鑑賞を始めてしまいさえすれば、北部と南部の登場人物の描き方、南北戦争の激戦、リンカーンの暗殺、黒人奴隷 、KKKの登場など、2部構成の3時間という非常に密度の濃い映画体験ができる。 


キャストは、金髪のリリアン・ギッシュ、黒髪のメイ・マーシュ等の若さ溢れる美しさが魅力的だ。

 

D・W・グリフィス監督作品

イントレランス(1916年)

散り行く花(1919年)

東への道1920年

 

・霊魂の不滅(1921年

 

本作は、セルマ・ラーゲルレーヴの「幻の馬車」が原作、スウェーデン映画の父ヴィクトル・シェストレムが監督・脚本・主演した、スウェーデンを代表する重要作として位置付けられているアートなサイレント映画


モノクロだがそれとわかる室内と室外暖色と寒色の使い分けであったり、登場する死神、その乗り物である馬車、幽体離脱する魂などの超常現象が特殊撮影による半透明で表現されていたり、幻想的な映像美が特徴的。


加えて、本作の骨子となるストーリー構造は、時系列や場面転換を頻繁に変化させ、悔い改めさせ、改心する物語形式を取っていて、時代を考慮するとかなり前衛的な試みが捉えられている。


このような映像表現と物語構造は極めて相性がよく相乗効果的に作用していて、後世まで語り継がれ、影響力の高い作品として評価し続けられている所以かと思われる。


キューブリックの「シャイニング」、ベルイマンの第七の封印「魔術師」、「処女の泉」などインスパイアを与えたであろう設定やシーンが印象的。


さらに、ヴィクトル・シェストレムは監督業を引退後、遺作となった「野いちご」での主演作での名演でも有名。

 

ヴィクトル・シェストレム監督作品

風(1928年)

 

・グリード(1924年

 

グリフィス、デミルとともに「サイレント映画の三大巨匠」と呼ばれる、エリッヒ・フォン・シュトロハイム監督作。


原作はフランク・ノリスの長編小説「死の谷 マクティーグ」。


サイレント期にリアリズム完全主義の象徴を示した象徴の様な作品。


「愚なる妻」に続き、完全版は9時間を超えるという、完璧主義者かつ浪費癖により、制作の度にあらゆる方面と衝突を繰り返し、その才能は完全に開花したのかどうか、本人が望む形として、公開されたものはほとんどないと言っていい。


しかし、1/4以下の長さに短縮されているにも関わらず、この無類の面白さを誇るのは、シュトロハイムならではのなせる業、本物の才人の証。


冒頭、無垢なふたりの男女の出会いから結婚式の場面までをじっくりと描き、幸せなムードで進行していき、欲にとり憑かれてからの心理描写が実に巧みだ。


そこから、純粋さは次第に影を潜め、同じ人間なのかと疑うほどに変貌していく。


業の深さは常軌を逸しており、異常な執着心が露わになって、負の連鎖がバーストする。

 

クライマックスで用いられている荒野の情景は、デス・バレーで死者まで出した酷暑での過酷なロケの効果が相まって、絶望的だが異様に美しい。


人間の歴史、その真理を剥き出しに描いている大傑作。

 

エリッヒ・フォン・シュトロハイム監督作品

愚なる妻(1922年)

メリー・ウイドー (1925年)

結婚行進曲 (1928年)

 

・戦艦ポチャムキン(1925年)

 

今ではあたりまえになっているが、モンタージュ技法を用いた記念碑的作品と言われているセルゲイ・M・エイゼンシュテイン監督による教科書的映画。


作品のモデルとなったのは、1905年の黒海艦隊で起こった戦艦ポチョムキンの反乱事件。


また、オデッサの階段での大虐殺シーンは、サンクトペテルブルクで軍が銃撃制圧した血の日曜日事件が背景となっている。


これらの事件に限定した第一次ロシア革命を題材としている。


特に、あまりにも有名な階段を乳母車が転げ落ちるシーンで、サスペンスを盛り上げる演出にモンタージュ手法は活かされており、映画史上最も有名な6分間と称されている。


「みんなは一人のために。一人はみんなのために」といった露骨な台詞が繰り返し使用されている通り、共産主義のプロバガンダ映画という側面もあるが、そうした思想性を凌駕する面白さ、そしてその後の映画への影響は計り知れない、歴史的に非常に重要な映画。


尚、音楽については、ショスタコーヴィチ交響曲がつく「ショスタコーヴィチ版」、エドムント・マイゼルのスコアによる「マイゼル版」がある。

 

メトロポリス(1927年)

 

SF映画の原点にして頂点を極めたラングの神映画。


1926年の時点で舞台となる近未来世界である2026年の巨大都市メトロポリスを描き出した摩天楼の造形、世界観を構築した先見性は凄まじいものがある。


一見すると高度に発達した文明都市にみえるが、一部の特権階級たちによる支配下で、奴隷的な労働者たちは地下に押しやられ過酷な肉体労働に従事させられている、といった階級社会の上に成り立っており、その描写が細部まで描き込まれている。


二極化された世界は古今東西起きる出来事であるが、その哲学的・宗教的・社会的で警鐘を孕んだメッセージに真理が表れている。


本作は、その後の多くの映画が模していていることで知られている。

 

特筆すべき本作の主人公は、ブリギッテ・ヘルムがひとりふた役を熱演したマリアだ。


労働者階級の清純な乙女である聖女と妖艶な人造人間といった悪女、この対極の存在を緩急のついた演じ分け方が大変素晴らしい。


当時20歳で素人だったヘルムだが、非常に過酷な撮影は有名で、2度とラングとは仕事をしないと語っている。


マリア以外にも魅了溢れるキャラクターが登場する、メトロポリスの支配者フレーダーセン(アルフレート・アーベル)、その息子フレーダー(グスタフ・フレーリッヒ)、発明家ロトワング(ルドルフ・クライン=ロッゲ)、工場長グロット(ハインリヒ・ゲオルゲ)など。

 

尚、本作のバージョンは多数存在することが知られているが、1927年に完成したオリジナルは210分、代表的なものは以下の通り。

 

・1927年初公開版(104分)
1984ジョルジオ・モロダー版(90分)
・2010年の完全版復版(150分)

 

オリジナル版はフィルムの消失により、長らく原型をみることが叶わなかったが、2008年にアルゼンチンで発見されたフッテージを元に、従来の復元版よりも25分長い、オリジナルに近いとされる150分バージョンが完全版として定着している。

 

しかしながら、完全復元版を持ってしても、永遠にみることが叶わない未現存の超超超大作。

 

ジョルジオ・モロダー版は、カナザワ映画祭2013での上映されたものの、いまだに日本語字幕付のソフトは発売されていない。

 

1984年に復刻したこのバージョンでは、モノクロフィルムに染色が施され、モロダー監修の音楽が挿入され、主に会話シーンに字幕がつくことにより、かなり洗練されている。

 

オリジナルの雰囲気から一変し、サイレント映画から脱却した雰囲気をもち、約100年前の映画とは感じられない、復活当時である80年代の映画のように感じられる。

 

26年制作の映画ながら、不変的な内容を描き、先見性のある世界観、不朽の映像により、時を超えて80年代の音楽と融合することのできる映画はちょっと他に例が思いつかない稀有な存在である真の名作である証。

 

フリッツ・ラング監督作品

ドクトル・マブゼ (1922年) 

死滅の谷(1921年)

スピオーネ  (1928年) 

 

サンライズ(1927年)

 

サイレント映画への入門編にして、そして空前の芸術映画として映画の完成形を証明してしまった、真の神映画。


名作だらけのムルナウにおいても、特出した大傑作で、約100年を経過しても、古びることのない真理を描いていて、今なお心に響く。


本作は、ドイツの劇作家ヘルマン・ズーデルマン氏の小説に基づき、カール・マイヤーが脚色。


普遍的な人間ドラマのストーリーが描かれるが、ムルナウの恐怖演出にかかれば、ホラー映画のようにも作用する前半は凍てつくように恐ろしく、その反動からの効果も相まって後半は雪解けのようにコミカルさが助長する見事な構成。


巧みな心理描写の移り変わりを捉え、サイレント映画における画と音での表現レベルを超越し、時を超えて永久不滅、奇跡の映画。


当然そのまま安心させて終わらせてくれるわけもなく、映画は突然変異を遂げクライマックスに雪崩れ込む、故に最高のラストは言葉にならない。


第1回アカデミー賞芸術作品賞、撮影賞、主演。

 

キネマ旬報ベストテン第1位。

 

オールタイムベスト常連作品。

 

F.W.ムルナウ監督作品

吸血鬼ノスフェラトゥ(1922年)

ファントム(1922年)

最後の人(1924年

ファウスト(1926年)

 

・ナポレオン(1927年)

 

数多あるナポレオンにまつわる映画化作品の中でも突出した評価の高いアベル・ガンス監督によるサイレント映画


2023年12月に公開が予定されているリドリー・スコットの「ナポレオン」とは、描かれる時代が異なり、本作は皇帝以前の時代を捉えているが、必ず押さえておきたい必見作だ。


少年期〜イタリア遠征までナポレオンの若き日にスポットを当て、約4時間の2部構成となっている。また、ジョゼフィーヌとのロマンスも見逃せない。


1781年14歳のナポレオンから始まり、歴史上重要な出来事を踏襲しつつ、ナポレオンがどのようにして、メキメキと頭角を表していったかを描く歴史スペクタル大作。


白眉は、トリプル・エクランと呼ばれる3面スクリーンが炸裂するクライマックスだが、他にもアベル・ガンスによる映画技法が詰まった、ライフワークとなったほど様々なバージョンが存在する。


尚、オリジナルの10時間版は失われてしまっていて現存しないため、今日においてオフィシャルっぽい扱いとされているのが、F.F.コッポラのゾエトロープによる、カーマイン・コッポラの音楽演奏を新たに加えて再公開した81年の復元版。

 

アベル・ガンス監督作品

戦争と平和(1919年)

鉄路の白薔薇 (1923年)

 

裁かるるジャンヌ(1928年)

 

監督カール・Th・ドライヤー、撮影ルドルフ・マテ、主演ルネ・ファルコネッティ。

 

ドライヤー作品において、生涯に渡って追求することになるいくつかの共通テーマである、キリスト教世界・女性の受難・社会の抑制と不寛容などが、作品が持つ題材として融合度合いとしては到達点に達している。


また、しばしば聖なる映画の形容として冠されことが多い中、神秘性とリアリズムを合わせ持つということにおいても、同様である。


この特異な作家性は、ドライヤーの生い立ちが深く関わっているとされている。


本作の特徴的なところは、ジャンヌ・ダルク及び審問官らはほとんどがローアングルのクローズアップ顔面で捉えられ、表情でそれぞれの内面や思惑を暴く圧倒的な表現に終始。


ジャンヌが恐怖などに怯える一方、審問官の権威的な眼差しとのコントラストが印象的。


そして、誘導尋問、拷問、法廷、火刑に至るまで、ジャンヌを英雄として扱うのではなく、揺らぐ信仰心と向かい合うひとりの女性として描く、宗教美学が極まっている。


キネマ旬報ベストテン第7位。

 

カール・Th・ドライヤー監督作品

あるじ(1925年)

ミカエル(1924年)

 

パンドラの箱(1929年)

 

監督G.W.パプスト、主演ルイーズ・ブルックス、フランク・ヴェデキントの原作「ルル」。

 

冒頭、ルル(ルイーズ・ブルックス)が登場シーンするや否や踊る場面からして、みる者を惹きつける魔力のような磁力に吸い寄せられるほど、神々しいまでに輝きを放っている。


自由奔放、華麗、官能的で、気品もあり、儚く、神秘的に美しい。

 

女の色気、妖気、艶っぽさは、時を超えても失われることはない。


原作でのルルは、時代を先取りした、それまでの道徳観を批判した女性像として、自由活発で活動的なイメージとしてキャラクター造形された。


キャスティングは難航し、2000人を超える応募から約1600人がテストされ、選ばれた超狭き門をかいくぐって、当時ハリウッドに出演していたルイーズ・ブルックスを抜擢。

 

本作の魅力は、この絶妙な配役によるところが大部分を締めている。


本能の赴くまま、無垢で無邪気で残酷に、周りの男達を破滅させていく説得性のある運命の女を体現している、世紀の当たり役。

 

映画史に残るファム・ファタールを中心に、様々な男達がしてやられる様を、タイトルにもあるように「パンドラの箱」として、機能を十二分に果たす。

 

映画の構成は、7つの場面によって仕切られ、それぞれが多層的な映画ジャンルを横断しながら、G.W.パプストの思想を具現化するようにして形成されている。

 

G.W.パプスト監督作品

喜びなき街(1925年)

倫落の女の日記(1929年)ルイーズ・ブルックス出演作品

 

ルイーズ・ブルックス出演作品

港々に女あり(1928年)

人生の乞食(1928年)

 

サイレント映画】10作品以外の黄金時代にまつわる映画たち

チャールズ・チャップリン監督・出演作品

キッド(1921年

黄金狂時代(1925年)

サーカス(1928年)


バスター・キートン監督・出演作品

キートンの探偵学入門(1924年

キートンのセブン・チャンス(1925年)

キートンの大列車追跡(1926年)


ハロルド・ロイド出演作品

ロイドの要心無用(1923年)

猛進ロイド1924年

ロイドのスピーディー(1928年)

 

ジョヴァンニ・パストローネ監督作品

カビリア(1914年) 

 

メリーピックフォード出演作品

闇に住む女(1918年) 

 

ロベルト・ウイーネ監督作品

カリガリ博士(1920年)

 

グレタ・ガルボ出演作品

肉体と悪魔(1926年) 

 

アルフレッド・ヒッチコック監督作品

下宿人(1926年)

 

ジョセフ・フォン・スタンバーグ監督作品

暗黒街(1927年)

 

ルイス・ブニュエル監督作品

アンダルシアの犬(1929年)

 

まとめ

サイレント映画】最低限みるべき黄金時代10作品

・チート(1915年)

国民の創生(1915年)

・霊魂の不滅(1921年

・グリード(1924年

戦艦ポチョムキン(1925年)

メトロポリス(1927年)

サンライズ(1927年)

・ナポレオン(1927年)

裁かるるジャンヌ(1928年)

パンドラの箱(1929年)

 

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