こう書くと誤解がありそうだが、個人的には双方とも最愛の映画作家。事実、メルヴィルとブレッソンはよく比較され、「海の沈黙」と「抵抗(レジスタンス)-死刑囚の手記より-」は、第1回岩波ホールセレクションにて上映された。そして、今回の記事の目的は、唯一日本語版の全作品を所持している(VHSを除く)映画作家なのに、未ソフト化の作品を渇望しているので、啓蒙活動としたい【永久保存版】。
目次
- 【メルヴィルvsブレッソン】価値観の形成について
- 【メルヴィルvsブレッソン】2人の違いと共通点について
- 【メルヴィルvsブレッソン】デビュー作比較
- 【メルヴィルvsブレッソン】代表作紹介
- 【メルヴィルvsブレッソン】ひとり総選挙
- まとめ
【メルヴィルvsブレッソン】価値観の形成について
※画像の引用元:IMDb公式サイトより
ジャン=ピエール・メルヴィル(写真左)、ロベール・ブレッソン(写真右)共に伝説的存在の映画作家だ。
メルヴィル(1917年〜1973年)は、映画監督としての活動期間は、1949年から1972年であり、約23年間で13本の作品を残した。
対するブレッソン(1901年〜1999年)は、1943年から1983年の約40年間で13本であり、共に寡作として知られている。
活動期間も重なっており、同時代を生きた2人はどう言ったマインドの持ち主であったのか探ってみたい。
メルヴィルは、幼い頃から映画を取ることを志し、映画用のカメラを6歳の頃から手にしており、少年時代は1日中(朝9時から午前3時まで!)映画館で過ごした。特に、戦前・戦後のアメリカ映画に傾倒し映画教養を身につけた。
また、古美術商である家族の影響で、高級家具などにより、美しいものとそうでないものの見分けを理解することで審美眼を養った。
こういった原体験により、メルヴィルは価値観を養った。
また、戦争体験やその時のレジスタンス活動も作品に大きく影響している。
戦争から戻ると、自ら制作会社を興し、処女作である短編「ある道化師の二十四時間」を撮る。
なお、メルヴィルは宗教について、信仰はないときっぱりと言及し、映画制作においては関連してないという。
対するブレッソンは、もともとが画家を志していたが、画家を続けていくことが難しいことがわかり、次第に映画に興味が移っていき、最初の短編「公共問題」を撮る。
また、戦争経験では、ドイツの捕虜となり、収容所で1年以上を過ごした経験がある。
なお、ブレッソンは宗教について、カトリックの映画作家であり、その宗教観が映画内にも反映されている。
メルヴィルに比べて、倍近いキャリアがあるにも関わらず、制作した作品数が同じなのは、入念なアプローチ、非商業主義のため資金集めに難航したことが挙げられる。
【メルヴィルvsブレッソン】2人の違いと共通点について
これまで2人が持つであろう価値観をもとに推定すると、次のようにアンサーを導き出せる。
まず、2人の違いをものすごく極端に要約すると、リアリズムか否か。
メルヴィルはフィクションしか撮らないと語っているし、ブレッソンはリアリズムは目的ではなく手段、そして真実のマニアだと言及している。
そして、2人のフィルモグラフィーをみてもそれはよく現れている。
メルヴィルは、文芸作品もあるが、主にレジスタンス映画とフィルムノワールに大別され、自身の経験・体験を直接投影しないスタイルだ(表現そのものは除く)。
対して、ブレッソンは原作がある文芸作品が多く、歴史ものや社会に警鐘をならす作品を手掛け、自身の経験を反映させている。
つまり、拡大路線を歩んだメルヴィルに対し、不変的なブレッソン。
そういった傾向が作品からみてとれる。
共通点については、大胆な省略と徹底的な無駄を削ぎ落としたミニマルさが挙げられる。
台詞は少なく、余計な説明はしない。
言葉で語るのではなく、画でみせる。
映像と音だけの言語表現、そのストイックな姿勢はどちらの作品にも色濃く現れている。
また、最小の手段を用いて最大限の効果を目指す姿勢も共通項だ。
【メルヴィルvsブレッソン】デビュー作比較
・海の沈黙(1949年)
ジャン=ピエール・メルヴィルの伝説的長編デビュー作。
クールでミニマムさはこの頃から健在だが、後年の作品群に比べて、緻密で繊細であり美しい映画。
当時30歳にして、映画教養の深さに敬服する。
自身レジスタンス活動家であったメルヴィルは、長編映画の題材として、当時レジスタンス文学として地下出版されていた同名原作を映像化。
1941年ドイツ占領下のフランス地方都市。
ひとりの老人とその美しい姪が暮らす家に、ドイツ軍の青年将校がやってくる。
ほとんどがこの3人だけのシーンだが、堂々とした一作に仕上がっている。
登場人物たちの背景や設定は大胆な省略がなされており、またほとんどセリフなしで描かれているが、それを補うようにして余りあるのがメルヴィルの盟友アンリ・ドカの撮影。
モノクロでこそ映える絶妙な陰影がキャラクターの心理描写を捉え、台詞ではなく画で示されている。
処女作にして、独自の作家スタイルを確立し、才能を開花させている。
本作の評価は、ジャン・コクトーをして自作の「恐るべき子供たち」の監督に抜擢するほど。
・罪の天使たち(1943年)
ゴダールに、ベートーヴェンはドイツの音楽、ドストエフスキーはロシアの小説、フランス映画はブレッソン、とまで言わしめたドミニコ修道院の修道女たちを描いたブレッソンの伝説的長編デビュー作品。
性格・境遇ともに対照的なふたりの主人公だが、ともに孤独がゆえに、両極端な存在であったことが示唆されており、その魂の統合や救済といった、ブレッソン映画に連なる受難というテーマがモチーフとなっている。
その信仰心を捨て、俗なところつまりは同じ立場になり、また一方も修道誓願を読み上げ、2人は一体となる。
映画は手のアップで幕を閉じるが、これもブレッソン映画によくみられる描写で、感情表現として、よく使われる。
逆に、次作「ブーローニュの森の貴婦人たち」とともにこの頃は職業俳優が出演している。
2人の女性が軸となるのだが、後のブレッソンの映画にみられる、素人たちを起用した形式的なスタイルは、みることができない。
また、ブレッソンは音楽もほとんど使用しなくなるが、本作と「ブーローニュの森の貴婦人たち」では劇伴音楽があるのも特徴的だ。
3作目「田舎司祭の日記」の頃から、そういったブレッソンスタイルが徐々に確立してくる。
【メルヴィルvsブレッソン】代表作紹介
・モラン神父 (1961年)
フランスの権威ある賞に輝いた作者の自伝的原作にした、メルヴィルよるキリスト教映画。
オープニングから常に十字架とともにクレジットが出る本格的な仕様だ。 厳格なカトリックに似つかわしくない神聖な神父にジャン=ポール・ベルモンド。
女にも男にもうつつを抜かしっばなしの俗っぽさで振り回されている未亡人にエマニュエル・リヴァ。
といった宗教を描くときにはオーソドックスな対比なのだが、この2人がバッチリハマっていて、見事としか言いようがない。
メルヴィル映画で割と異色な作品で、男の世界が多い中、男女の恋が描かれること自体が珍しいが、それもまあ普通の恋を描くわけがなく、ストイックな恋愛姿勢が描かれるのだが、これが無類に面白い。
メルヴィル作品としては、台詞多めなのも特徴的。 アンリ・ドカエのコントラスト濃いモノクロ映像が美しく、レジスタンス要素ありといった、らしさは健在だ。
・いぬ(1963年)
メルヴィルによるフレンチフィルムノワールを代表する1作だが、入り組んだ物語構成と登場人物たちが多く混乱しやすい。
いぬは密告者を意味し、猜疑心により登場人物たちが信用出来なくなる。
また、ストーリーが省略され、説明的でもないので、どんどん迷い込んでしまう。
気付いた時には蟻地獄に迷い込んでしまったかと気づかされるが、時すでに遅しみたいことになりがちな作品である。
しかしながら、前作「モラン神父」とは異なり、ポーカーフェイスなギャングを演じたベルモンドが輝かしい。
静寂が支配している世界にみえるが、白鳥のように必死に水面下で必死に足で水をかいてる、そんな魅力に詰まった映画だ。
オープニング、ラストはもちろんだが、特に有名な中盤における9分38秒のカットは奇跡だ。
それにしても、メルヴィルのベルモンド3部作の2作目「フェルショー家の長男 」の日本語版が未だにソフト化されていないので、「ギャング」「この手紙を読むときは」と共にソフト化希望作品である。
・影の軍隊(1969年)
メルヴィル自身がレジスタンスとして活動し、原作を映画化することを渇望し、リノ・ヴァンチュラを主役に実現した、メルヴィルにとって夢の企画。
デビュー作でみせた静かで美しくミニマルなレジスタンス映画とは異なり、重厚な雰囲気が全編を包み込み、派手さはないが淡々と厳しい世界を描き、緊張感が途切れることはない。
本作をみることで、より当時の仏独間におけるレジスタンスとナチスの関係が、善悪がはっきりしているものではなく、簡単に割り切れるものではない、といった複雑な時代背景が存在していたことがわかる。
その上で、1942年ドイツ占領下のフランスを再現するにあたり、オープニングにみられるシャンゼリゼ通りをドイツ軍が後進する映像という一世一代の大仕事の価値が増幅する。
そもそもなかなか撮影できるものではなく、その苦労は想像に絶する。
メルヴィル自身が後年になっても、このカットと「いぬ」の9分38秒のカットは生涯ベストだったと自負している渾身の出来栄え。
・仁義(1970年)
マルセイユからパリへ。5人の男が原題の「赤い輪」が示す通り運命に導かれる。メルヴィルの仏教的思想からの連想で輪廻にも通じる概念だ。
メルヴィルのオリジナル脚本、音楽エリック・ド・マルサン、撮影アンリ・ドカエ。 アラン・ドロン、イヴ・モンタンの2大スターに加えて、ジャン・マリア・ヴォロンテ、フランソワ・ペリエ、ブールヴィルといった3大俳優が出演する豪華なキャスティング。
なお、ブールヴィルの遺作により、素晴らしい仕事を残して去った。 これら作品に関わるアンサンブルが生み出す相乗効果は、今の映画では味わうことの出来ない奥深い世界が広がり、そして男の浪漫に満ちていて、痺れるシーンの連続。
出自が違うが、求道者的な5人の男たちの生き様が濃厚に刻み込まれている。 「サムライ」と甲乙つけ難い、メルヴィルのアラン・ドロン三部作の2本目、フランスを代表するフィルムノワールの大傑作。
・「サムライ」(1967年)は以前別の記事を出しているのでこちらをチェック↓
・抵抗 -死刑囚の手記より-(1956年)
ブレッソンらしいミニマルなテーマ、題材、舞台設定が、収容所(独房)という閉鎖的空間が見事にハマっている。
自身の経験を反映させた奥行きも感じられ、そして持ち味である極限状態、特有の大胆な省略と凝縮が融合されて生み出された大傑作。
削ぎ落とされた飾り気のなさが、逆に緊張感の高まりに相乗効果をもたらしている。 以降職業役者を使用しなくなる路線が確立され伝統になる。
音楽も最低限に限られた箇所で上質なクラシック(モーツァルト ミサ曲ハ短調 K427 キリエ)が抑制され、わずかに用いられる品のよさ。
モノクロの印影、コントラストまで計算された美しさ。
・スリ(1959年)
ブレッソン映画に多くみられる手の描写が本作では顕如にみられる。
他の作品に比べて一際感情表現豊かに描かれ、鮮やかな盗みの手法がまことに美しいのが特徴的。
76分という短い時間ながら、大胆な省略と凝縮にこめられた想いが伝わってくる。
「有能な者には特権がある。聡明で才能豊かなで天才的な人物は社会に必要。不遇な場合は時には法を犯す自由がある」
といった台詞が語られる、危険な思想の持ち主。
「ラルジャン」と同じくお金にまつわる映画だが、とは対照的な結末を迎える。
「罪と罰」からインスパイアされた、ロベール・ブレッソン初自身のオリジナル脚本。
主人公の虚無感を投影した禁欲的な心理描写、富のみが興味の対象でありスリとして成長譚、そして見事なラストの着地。
限定されたリュリの音楽が華を添える。
・バルタザールどこへ行く(1966年)
「抵抗」「スリ」「ジャンヌ・ダルク裁判」といったこれまでの3作品とは異なり、当日新人だったアンヌ・ヴィアゼムスキー(マリー役)を始め、新人俳優を中心にキャスティングし、もうひとりの主役としてロバ(バルタザール役)が登場する。
また、これまでは禁欲的な描写が多かったものの、聖書の七つの大罪になぞられた、人間の私利私欲、自堕落な生活に巻き込まれ、翻弄される形でバルタザールの地獄巡りが繰り広げられる。
その中でも強く印象に残り目立つのが、アル中のアルノルド(ジーン・クラウド・ギルバート)だ。
様々なエピソードがあるバルタザールだが、アルノルドの元で飼われている相当に嫌だったのがよくわかる。
満を持して、アルノルドの元を離れるが、サーカス団に捕まってしまい、さらにアルノルドに連れ戻されてしまう。
バルタザールとマリーが並走して描かれ、タイムラインも考慮されている。
さらに、これまでのブレッソン作品とは異なり、閉鎖的ではないオープンな場所が舞台なのも特徴的。
音楽は、シューベルト ピアノソナタ 第2楽章が用いられていたり、ダンスパーティーなどでも華やかな音楽がかかっていたり、音が目立つ印象がある。
・白夜(1971年)
ドストエフスキーの短編を19世紀ペテルブルクから1970年代のパリへと舞台を移し、四夜のうちに展開される恋愛ドラマ。
ポンヌフをはじめとするパリの街の映像が非常に素晴らしいのが印象的。
特に、ポンヌフ橋からみおろす夜のセーヌ川を漆黒の川面にゆったりと流れるように、まばゆい光を放つ観光船が画面を独占するさまは、時が止まるほど美しい。
ヴィスコンティ版のセットによるイタリア港町を再現したものも大変よかったが、どちらも方向性が異なるため、単純に比べるのが難しく、どちらもいいというのが本音。
そして、もうひとつ特徴的なのが音学だ。ブレッソン映画には珍しく、ブラジル人たちが演奏するボサノヴァなどの音楽が多用されている。
さらに、ドストエフスキーの細かな主人公たちの設定を変えているものの、その骨格は等しい。
逆に違うところは、主人公がテープに自分の声を吹き込み、何度も再生し、その夢想の世界に閉じこもっていることを暗示している。
また、ヒロインとその母親が映画に行くところも、原作やヴィスコンティ版ではオペラを観に行く、より現代的で印象に残る。
そして、ラストのあっけなさ。ヴィスコンティ版は、たっぷりと情緒漂う脚色がされていたのに対し、原作の雰囲気に近い、対比表現で映画は終わる。
本作をみはじめたときは、ブレッソンらしくない作品かなと思わせつつも、終わってみればやはりらしい作品である。
本作の難点をあげるなら、ソフトが長らく廃盤となっていて、鑑賞のハードルがあがっているところが非常に残念だ。
・「ラルジャン」(1983年)は以前別の記事を出しているのでこちらをチェック↓
【メルヴィルvsブレッソン】ひとり総選挙
さいごに、これまでを総括して勝手にひとり総選挙を実施。
作品賞はランキング形式でお届け。
男優編
これはもう言わずもがなの即決。
2.いぬ シリアン(ジャン=ポール・ベルモンド)
1.ラルジャン イヴォン(クリスチャン・パティ)
2.スリ ミシェル(ピエール・レマリ)
3.抵抗 フォンテーヌ(フランソワ・ルテリエ)
女優賞
メルヴィル作品は女優陣が少なく出番も多くないのでやや選考に困った。
ブレッソン作品は女性が主体の作品も多く4位まで選出。その後、女優を続けた人のデビュー作だったり、本作のみ出演したり、どちらもいい。それにしても、ブレッソン作品は美男美女が多いことにはいつも驚き。
1.モラン神父 バルニー(エマニュエル・リヴァ)
2.賭博師ボブ アンヌ(イザベル・コーレイ)
3.サムライ ジャーヌ(ナタリー・ドロン)
1.白夜 マルト(イザベル・ヴェンガルデン)
2.バルタザール マリー(アンヌ・ヴィアゼムスキー)
3.ジャンヌ・ダルク ジャンヌ・ダルク(フロランス・ドゥレ)
4.ムシェット ムシェット(ナディール・ノルティエ)
サブキャラクター部門
メルヴィル・ブレッソン作品共に、重要な役割を担うキャラクターを選出。一部の作品では主演を喰ってしまっているほどの存在感のあるキャラクターもいる。
1.仁義 元警官でアル中のジャンセン(イヴ・モンタン)
2.サムライ ピアニストのヴァレリー( カティ・ロジェ)
3.マンハッタン 二人の男 記者のモロー(ジャン=ピエール・メルヴィル)
1.バルタザール アル中のアルノルド(ジーン・クラウド・ギルバート)
2.抵抗 フォンテーヌと同居人となる16歳のジョスト(シャルル・ル・クランシュ)
3.白夜 下宿人(ジャン=モーリス・モノワイエ)
メルヴィルは原作があっても話の構成の見事さにより2作品が上位となり、オリジナルを3位とした。ブレッソン作品は、なるべくオリジナル要素が強いものを選出。
1.いぬ
2.影の軍隊
3.賭博師ボブ
1.バルタザール
2.スリ
3.たぶん悪魔が
音楽賞
基本的にメルヴィルはジャズ、ブレッソンはクラッシックがお好み、とてもいいと思う。
とは言っても、ブレッソンは音楽が不要としてどんどん削っていくことになるので、音楽が目立つ作品を2位まで選出し、3位は劇伴が使用される初期2作品をランキングに入れた。
1.サムライ フランソワ・ド・ルーベ
2.仁義 エリック・ド・マルサン
3.いぬ ポール・ミスラキ
1.白夜 グループ・バトゥーキ、ルイ・ギター、E・R・ダビド
2.バルタザール フランツ・シューベルト、ジャン・ヴィーネ
3.罪の天使たち・ブローニュの森の貴婦人たち ジャン=ジャック・グリューネンヴァルト
撮影賞
メルヴィルについては、かの有名でメルヴィル地震が誇っている2つのカットを上位2位までランキング、そして「サムライ」 も欠かせない。
ブレッソンについては、風景など諸々が美しい「白夜」、ロバの撮影が困難を極めた「バルタザール」、盗みのテクニックを納めた「スリ」とした。
1.影の軍隊 ピエール・ロム
2.いぬ ニコラ・エイエ
3.サムライ アンリ・ドカ
1.白夜 ピエール・ロム
2.バルタザール ギスラン・クロケ
3.スリ レオンス・アンリ・ビュレル
作品賞(トータルランキング)
そして、気になる作品賞はこちら。ここでは作品賞単体ではなく、2人の作品をトータルで独断と偏見によりランキングした。
傑作しか撮らなかった2人だが、厳選に順位を決めた。
個人的【メルヴィル映画】ランキング
1.サムライ
2.仁義
3.いぬ
4.モラン神父
5.影の軍隊
6.海の沈黙
7. 賭博師ボブ
8.マンハッタン二人の男
9.リスボン特急
10. 恐るべき子供たち
個人的【ブレッソン映画】ランキング
1.ラルジャン
2.スリ
3.抵抗
4.白夜
5.バルタザール
6.ムシェット
7.ジャンヌ・ダルク
8.悪魔
9.田舎司祭
10. 罪の天使たち
まとめ
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